パソコン初心者の私がジャンクパソコンを危なっかしくいじるブログです。
台風の到来と共に秋になり、すっかり過ごしやすい陽気になりましたが、その秋ならではのニュースが目に留まりました。
採取した毒キノコによる食中毒です。
今回の例はいずれも茨城県在住の60代の男性とのことですが、生活に困窮しているわけでもないのに、なぜこうも毎年同じ話題が出るのでしょうか。
山に入る楽しみ、醍醐味の一つというのは充分に理解できるものの、もう少しリスク管理が必要ではないかと思います。
また具合の悪い事に、猛暑が記憶に新しい今年の気候は、9月に入ってからぐっと気温が下がったことも手伝って、それら毒キノコの「豊作」を助長しているのだそうです。
筆者には未知の領域でしたが、気になって調べてみたところ、
・きのこを採取してよいのは、基本的に「国有林」のみ。地主のいる山ではそもそも採ってはならない。
・きのこは毒性があっても、手で触れる分にはほとんど害はないそう。例外は「カエンタケ」で、これは唐辛子のような形をしており、食べた時の致死性の高さはもちろん、汁が付着するだけで肌がかぶれるのだとか。
・毒きのこの判別法は迷信や嘘も多く、インターネットではなく現地の博物館や林業試験場などのしっかりした機関や権威を選んだ方がよい。縦に裂ければ安全、虫が食っていれば安全、派手派手しいものは危険、などは全て迷信である。
ざっとの調査でもこれだけの情報が得られました。
ここで出てきたきのこの研究機関ですが、例えば大阪の自然博物館などには、きのこのサンプルを送ると調べてはくれますが、例え食べられるものでも調べてもらっている間に劣化してしまうでしょうから、これは学術的な側面が大きいといえるでしょう。
食べられるかどうかを判定してくれる機関では、群馬県の林業試験場が見つかりました。事前に連絡(027-373-2300)しておけば鑑定依頼ができるそうです。
また写真を撮ることで種類を判別してくれるスマホアプリもあるようですが、これは食用かどうかをその場で知るには精度の面で全く当てにはできないようです。あくまで親子で名前を当てて楽しんだり、標本として採集したりする時に利用するべきでしょう。
食の安全が叫ばれる一方で、こうした消費側個人個人のリテラシーはSNSなどのネット上だけでなく、実生活でもまだまだ低いのだろうかと感じました。
4日に京都府舞鶴市で大相撲の巡業場所が開催されました。
昨年から続くさまざまな問題で注目されている相撲協会が日本の各地で、東京の国技館などで開催される本場所以外に開く巡業場所のひとつです。
何かにつけて、もっと考えてすればよいのにと思ってしまう事態が多いのですが、今回もちょっとした騒動があったということです。
4日は多々見良三市長の挨拶がありました。
それは、大相撲ということで土俵の上でのことです。
ところが、体調が良くなかったのか舞鶴市長は突然挨拶の途中に土俵上に倒れてしまったのだとか。
たいへんな事態に、医師たちが駆けつけ心臓マッサージなど必要な処置を始めたそうです。
その医師に対して、土俵からすぐに下りるようにというアナウンスが繰り返されたのです。
市長の命にかかわる事態を少しでも良い方向に向けようとしている医師に対してのこのアナウンスは大相撲ならではのことでした。
何故ならその医師が女性だったからです。
土俵は神聖な場所であり、昔から伝統的に女性は足を踏み入れることができないところとされています。
その意味からすぐに土俵を下りるようにというアナウンスがあったらしいのです。
しかし、そんなことは百も承知のはずの相撲協会がどうして男性医師を待機させていなかったのか。
市長でなくても土俵上で怪我や突然の病気になる力士や行司がいないとも限らないのです。
相撲協会が誰一人としてこんな当たり前のことにこれまで気付かず、女性医師が登場してもあたふたしてしまっています。
根本的に洗い直すべき団体なのではないかと思ってしまいます。
今新聞・ニュース等で話題になっている憲法96条の改正。
安倍総理や自民党は一体何のために改正しようとしているのか。
憲法改正のハードルを下げるためって、憲法ってそんなに簡単に変えられないほうが
いいんじゃないの!?
ハードルが高いままの方がいいんじゃないだろうか。
なぜ今のタイミングなのか、今の国内の経済状況、進まない震災復興、もっと今急がなければならない問題は多いはずです。
それなのに、今検討しているからには、間違いなく改正したい憲法があるということになる。それは、何なのか。
考えると恐い気がします。
もしかして、憲法9条なのか・・。
日本がかつて戦争していたころ、勝利を信じて、多数の国民が戦争に賛成、協力していた。
戦争反対と言えない時代だった。
でも、現在、戦争賛成という人は少ない。
民意も時代で変わります。
それが悪いことだと気が付くのに長い時間がかかることもあります。
憲法は、変えるべきものがもしあっても、時間をかけて考えていかなければならない。
やはり、改正のハードルを下げる必要性をまったく感じません。
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